教会のあゆみ of

さんだ
三田とともに 141年
宗教法人日本基督教団 摂津三田教会

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九鬼隆義



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J・D デーヴィス



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J・C ベリー



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J ・E ダッドレー



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D ・C グリーン



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澤山保羅



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新島 壌

三田藩とキリスト教伝道上の関係は、1872年(明治5年)夏に始まる。アメリカン・ボードの宣教師 J・D・デーヴィス夫妻が宣教医 J・C・べリーのすすめで有馬に避暑のため子供をつれて出掛け、この時、元三田藩主九鬼隆義の家族との交わりが始まり、8月にデーヴィスらは三田に遊んだ。隆義夫人 園子は3人の子供連れでデーヴィスの旅館を訪ね、九鬼隆義も有馬に数週間滞在して、交際は一層親密を加えた。この後も九鬼隆義はデーヴィスと往来し、キリスト教や西洋の医学・科学・風習について学ぶところがあった。

1873年(明治6年)夏、デーヴィスは2週間滞在して日々三田の青年士族20余人にヨハネ伝の講義をし、婦人宣教師J・Eダッドレーは毎日午後婦人らに教えを伝えた。また医師有志はべリーの出張を乞い、べリーは九鬼家の乗馬に跨がって毎月1回三田に出張し西洋医学の講義施療を行ない、施療所の一室を借りてキリスト教の伝道に従事したのである。

1875年(明治8年)7月27日、旧三田藩九鬼家(三田陣屋跡)大広間に一同集合。ここに関西で3番目に古いプロテスタント教会摂津第三公会(三田教会)が設立された

0・H・ギューリックを仮牧師とし、当日の受洗者、澤 茂吉・赤林 源治・井坂 純蔵・橋村 紹悦・若林 元昌・丸井 清七・竹内 一郎・鈴木 雅楽・澤 犀・安田 文・井坂 藤・前田 菊・赤林 久・橋村 嶺・降屋 寿美・丸井 政の16名、参会者150名であった。他教会に比べ士族とりわけ女子が10人と多いのはダッドレー女史の力によるものとして特筆されている。

1877年(明治10年)9月7日、教会堂の建築成り献堂式が行なわれた。場所は三田本町上、この日の演説者はデーヴィス・澤山保羅・グリーンの3氏。献堂祈祷はギューリック、司会は同志社の創立者新島襄で参列者は京阪神よりの来会者と供せて約250名が集まった。

1878年(明治11年)9月、三田公会会員の協議をもってこれまでの長老の名称を廃して、牧師の代理として渡辺源太、執事に降屋盛基・丸井清七が選ばれた。

1880年(明治13年)3月ギューリック牧師帰国に伴い、三田教会は兵庫教会村上俊吉牧師が兼任した。渡辺源太は創立の頃より伝道師の代理を勤めよく奉仕され、同年4月、同志社に学ばれ正式の伝道師として三田に迎えられ、多くの信者が集まった。時移り伝道はなかなか困難で、求道者より受洗者に導くのは大変で教勢は思うように振るわず、時には独立教会としての維持すら困難な時もあったが、140年経った今も、ここ三田の地にしっかりと福音は根付いている。

摂津三田教会の
ここが素晴らしい!

礼拝堂・園舎

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教会側より
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保育園側より
1997年
三田市文化協会主催
市民が選ぶ
グッドデザイン賞受賞
箱船のような形です。

ステンドグラス

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三浦啓子作
礼拝堂正面に
設置されています。

礼拝堂オルガン

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Rodgers製
insignlaシリーズ
i577DA
うっとりする音色です。
是非聞きに来て下さい。

外国人宣教師が     使用していた説教台

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背丈に合わせ、
高さがかなり高く
作られていました。

みんなの礼拝

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附属の保育園では
毎週金曜日に
礼拝を守っています。
福音の種を
しっかり撒き続けます。